No.2 学習の個別化

 子ども一人一人に適した学習がある、とするならば、現在行われている集団での授業は、どこまでも効率を追求したものであるといえる。教師一人が示しうる学習方法は、せいぜい一つか二つであるとするならば、それに適応できる子どもの数も当然限られてくる。

 これは単純に学習方法だけの問題ではなく、学習のスピードや順序から始まり、教師との相性まで、子ども個人の特性にぴったりくるものが一つ一つあるということになる。

 塾に行くか、家庭教師にするかという問題もこのあたりのことと関係している。

 学校の教師が可能な限り、子どもの特性を観察し、彼ら個々人に最も適している学習を施すことは、実際に可能なのであろうか。
 かつてCAI学習が提唱された背景にはこの考え方が存在している。CAI学習、つまりコンピュータプログラミングされた様々な学習方法を学習者が選んで学習する。スピードも順番も彼らがフィットするように調整できる。

 「適性処遇交互作用」という考え方は、学習の個別化の利点を支えている。学習効果が低い子どもは、学習に対する適性がないのではなく、学習方法が子ども自身に合っていないからだ、という考え方。これに基づくと、学習方法さえ合えば、どんな子どもでも学習効果は得られるという「完全習得学習理論(マスタリーラーニング)」に結びつく。

 学習者の特性と学習方法との相関性に目を向けると、一つの学習内容に対して様々な学習方法が用意されなければならない。

 これは教師になるみなさんには是非肝に銘じておいてもらいたいこと。
 学習内容に対して学習方法は多様に存在する。
 それを効果的に施すためには教師の「教科の能力を基準にした子ども観察」が重要であり、それこそが教師の仕事である。

 さて、こうした考えに基づくと完全に個別学習が理想的であると考えられる。
 
 しかしながら、集団で学ぶことでしか得られないものもたくさんある。 
 陶冶と訓育の項でも述べたように、人間形成、特に自己形成には集団での活動が欠かせない。また一つの事象に対して多様な考え方があることを知り、それらを交流することにより、より広くて深い考えに至ることを身をもって知るためにも集団での学習は必要である。

 もちろん「協力すること、協力して何かを成し遂げること」を経験することにより、コミュニティーの一員としての資質を身につけるという点でも大切なんだが。

 さて、具体的に述べるならば、集団で学ぶことと個人で学ぶことの特徴を整理した上で、一つの授業の中で個人思考を確保する場面と集団思考を確保する場面とを効果的に組み合わせる指導案を提案しなければならない。

少し考えてみて欲しい。