No.17 生きる力

 「生きる力」は、いわゆる運用力ではなく、教育政策的には、1996年の第15期中教審答申で示されるように、

 「いかに社会が変化しようと、自分で課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決する資質や能力」

のことを指している。
 つまり、経済界が教育界に要請する、ハイタレントな人材のことを指しているのである。
 この流れは、第16期答申に見られる、「飛び級」や「中高一貫教育」等に反映されていると考えられる。言い換えるならば、新自由主義のなかで、市場原理と能力主義競争に打ち勝って生き残っていくだけの力を指しているのであって、社会の厳しさに打ち勝つだけの能力の育成を学校教育に求めていることになる。
 これは考えようによっては、社会の問題を解決し、よりよい社会を築いていく人間とは異なり、現行の社会体制を勝ち抜く人材を指している。さらに、内容を見ても分かるように共存ではなく競争原理に支えられた個人主義の傾向が強く、生き残れないものへの切り捨てが強く感じられる。

 これに対して、生活指導実践の中の「生きる力」は、あくまで集団の共存を志向する人間像を追求する。
 対話の中でそれぞれの個が共存する可能性を追求し、価値観や欲求の共有を目指し、民主的な権利主体として育んでいくことを目指している。

 ここ最近の教育実践や教育政策では一時期のような個人主義的傾向は陰を薄め、対話と協同的学習の推進が図られ、生活や学習の共同化が進められている。個々人相互の多様性を理解し合い、よりよい社会を築き上げていくために協力できる関係を形成することのできる力を生きる力として考えていく方向性が強くなっている。

 私個人の考え方としては、どちらが正しいと一概に言えないと考えている。なぜなら、依然として社会は新自由主義的傾向が強く、競争に勝ち抜くことが求められているにもかかわらず、教育では協同的な人間を理想的に育てようとする・・・やはり矛盾しているように思えてならない。