No.49 食育

①食育の歴史
 食育という言葉は、もともと明治時代に陸軍軍医である石塚左玄の『通俗食物養生法』に示された造語であったそうだが、2005年に食育基本法が成立したことによって教育現場でも様々な取り組みが進められるようになった。 その後、内閣府を中心に様々な関連機関で食育に関する取り組みが進められた。さらに同時期に始められた栄養教諭制度は、各学校に対して食育をコンサルティングする栄養教諭を配置し、子どもたちの食生活の改善を推進する取り組みの中心となっている。

 

②なぜ食育を重視するようになったのか
 基本的には、学習意欲の低下の原因をどう見るかによるのだと考えている。学習に向き合えない子供が増加してきた原因は様々だが、それゆえにあの手この手で学習意欲を高めていく必要がある。そうしなければ切実な問題として学級崩壊が起こりかねないことも否定できない。多くの学習者が午前中ボーっとしている現状に直面したり、明らかにきちんとした食事をしていない家庭に手をこまねいたりするとよく分かるのではないだろうか。
 人間の行動における精神的な動機付けの問題が重視された1980年代後半から1990年代は、学習意欲の低下は、学習の理解の低さであると指摘され、基礎学力を中心とし、広く学力を付けることに終始した教育現場も、それがやがてもっと複雑で多様な原因によるものだということが意識されはじめ、身体的な要因から学習に向き合えない学習者がかなりの数存在することが明らかになってきたことも相重なって食育が重視されるようになってきたのではないかと考えている。

 

③ 敢えて食育の問題点を挙げるとすれば
 食育に関する問題は基本的には、食育基本法成立以降の関連する法令に目を通したり、栄養教諭制度に一定の理解を持つことで乗り越えられる気がするのだが、教育現場に出てから食育にたずさわる事を考えると現実的な問題を知っておいて欲しい。
 まず一つ目は、子どもをいくら教育しても限界があることだということ。食事を作るのは親であり家庭である。子どもは養われているのであるから、親に対してもっとましなものを食わせろとは言いにくい。ゆえにこの限界を超えていくために地域や家庭と十分に連携した食育が必要となってくる。
 二つ目は学校内の役割分担の問題が挙げられる。栄養教諭を配置したものの、重なるポジションとして家庭科の先生や保健の先生、給食の管理をする方々などが考えられる。食育と改めて声高にいうことがやや控えられるのはこういった先生方がこれまで行ってきた栄養教育や食事に関する指導を否定することにつながるからだ。新任の栄養教諭がこういったポジション似る先生たちと上手く連携できずトラブルが起きた話はたくさん聞く。学校の指導体制として様々な連携を考えてから食育を進めていかなければならない。
 三つ目は、現代の食文化との乖離である。ファーストフードやコンビニ弁当を食べて暮らしている小学生の数など調査したら驚くほど多いだろうと思うし、カップヌードルやジャンクフードなどで夕食を済ませる子どもの数も相当いるだろう。コンビニが二十四時間空いていて、電子レンジがこれだけ普及した現代社会において、手軽さを放棄して食育に向かうためには相当な機会を設ける必要があるだろう。
 四つ目は、学習意欲の低下と子どもたちの生活の関係はなにも食事に限ったことだけではないということである。
夜更かしやテレビゲームの普及による電磁波などの悪影響から子どもたちの体がおかしくなっていることを指摘する文献は後を絶たない。広く生活指導の一環として食育が位置付いていないと実は本当の効果は得られない。地域分権化が進み、地域の産業の活性化と変に絡んで活動が進められている分、教育的な配慮は薄くなるのは仕方がないことなのかもしれないが、実際に学習を構想するのは教師であるのだから、教育的にあくまで食育を進めて欲しいと思う。