No.67 青年期

①青年期に対する受け止め方
 青年期に当てはまる年齢とは一体いくつからいくつまでなのであろうか?エリクソンなどはアイデンティティー確立時期として、12歳から18歳を挙げているが、社会の変化に伴って具体的な年齢は変動していると思う。
 さて、近代教育学ではおおよそ10代後半の性欲が発達し精神が動揺する時期をさして「青年期」と呼ぶようであるが、私自身の考えとしては、社会生活に入る前までの段階として捉えるのが分かりやすいのではないかと思っている。なぜかというと、近代教育学において、クレッチマーやシュプランガーが指摘する「青年期危機説」など、この時期はとかく不安定になりがちで危機的な時期であるという考え方に強く影響を受けているからだ。
 併せてこういった社会生活に入る前の青年たちを、何とか社会に適合させようとする保守的な意図がこれまでの高等教育の根幹にあることを意識しているからでもある。
 

②関係性と実体
 恥ずかしながら、私などもまだ研究者としては若い部類にはいるようで、そういう風にいわれたり見られたりするのを感じることがある。これはあくまで実年齢がどうかというような実体的なものではなく、相対的な関係の中でそう位置づけられているにすぎない。
 先ほどから年齢のことを話題にしているのもそういう意図がある。つまり、ニートで30すぎても仕事をしていない人を青年期に属すると見なすかどうかはもしかすると実体的なことではなくて相対的な関係の問題かもしれない。このように考えると、親から見ればいつまでも自分の子どもが子どもであるように、それぞれ個人がどのような立場にいるかという問題が重要になってくる。
 固まっていない時期の人たち、とか社会に対して不満を抱いている人たちといったある種社会の中での立場が、その流動的な存在をさして青年期と読んで特別に位置づけているのかもしれない。小学生なんかでも割とさめていて若者らしくないなあと感じたりするときはその子どもは青年期には属していないのかもしれないと思う。
 しかしながら、実体としての青年期も存在しないわけではないと思っている。それは先にも述べたように社会生活のありようとも深く関係はしているもののやはり心理的な不安定さを発達のバランスの欠如から生じさせている時期がある。こういった時期に学習者に対して、どのように関わっていけばよいのかということで高校の先生方は悩んでいるのも確かなことだ。実社会における経験に欠ける若者という位置づけもやはり現実としてはあるわけで、一概に社会にでた人間から見たとか、歳をとったものから見たという見方だけの問題ではすまされない部分もある。

 

 

③大学はモラトリアムか
 かつての大学はモラトリアムだったとだろうといえば多くの人が頷くはずだが、現在の大学はモラトリアムかといえば疑問を投げかける人が多いはずだ。大学のカリキュラムはそれほど実学に傾斜してきているし、下手すると学生は自分でダブルスクールなどをして、大学生活を就職のための効率よい準備期間にしている傾向が強い。時間や将来に縛られることなく自分を見つめる時期としてのモラトリアムは少なくなり、将来への具体的な展望にたった時間とお金の投資時期になってしまうことに対してはいささか不安を覚える。