No.51 範例学習

①範例学習
 範例学習の考え方は、学習の転移性の問題と深く関係している。無限に学習時間があるのならば、いくらでも学習内容を増やせるのだけれども、限られた時間の中で最大限に広く学習内容を配列しようとすると、応用範囲の広い学習内容を精選して配列しなければならない。この応用範囲の広い学習内容が範例である。
 カリキュラムを編成する際に、個々の学習内容を結びつきを広さと深さで捉え、偏りのないように編成する。難しすぎてもダメだし、全く応用の利かない内容でもダメなのである。
 各教科でこういった範例と呼ばれるものはやはり存在すると思うが、それを中心に学んだからといって、本当に応用が利くのかというとそれは必ずしもそうとは言えないだろう。まるでダイジェストのような学習になっても仕方がないのである。
 しかし、あくまで学校の限られた時間の中で何を教えるのかという問題は現在も依然として存在しているしこれからも存在し続ける問題だろう。そこで、近年教育現場で重視された「基礎・基本」も基礎学力の低下だけではなく一種の範例学習なのではないかという考え方もできる。基礎や基本的な内容は確かに応用範囲が広く、学力の転移性が見込めるからだ。

 

 

②学びの文脈、生活の文脈
 例えば母親に感謝の気持ちを手紙でつたえる学習があったとする。形式的な手紙の書き方を学ばせるのならいざ知らず、やはり母親宛の手紙をそんなに形式的な手紙にしていいものだろうかということから、子どもたちに割と自由に書かせる。なぜなら手紙の形式などというものはそのこと母親の関係のあり方によって多種多様であるからだ。
 しかし国語教育では、形式的な拝啓とか敬具とかいった手紙の作法を学ぶことを重視したりするので、結局学んだことは一体誰宛の手紙に使えるのかよく分からなくなってしまう。大学生などでもきちんと手紙を書くことができない人が多いのはこういった学習しかしていないからだと考える。
 つまり学習は実際の分間yくを抜いて非常に形式的に行われる傾向が強い。これが範例学習の悪い成果である。基本的で形式的な手紙の書き方を学んでおけばどのような相手に手紙を書く場合にも応用可能だと考えるからだ。しかし実際は誰にも手紙が書けないのである。
 それでは、ものすごく具体的な文脈に即した学習を積み重ねればよいかというと、なかなかそうでもない。第一に時間が足りないし、偏りすぎていて、まったく同じ文脈の場合にしか使えない知識として身についていくことになるからだ。
 具体的な文脈と形式的な学習とは、学習を構想する段階で効果的に折り合いを付け、形式的なことを知識として学びながらも具体的にそれを使ってみる場面を構想するとか、具体的な場面を設定しながらも形式的なまとめを行うとかそういった関係付けの中で学習全体としては両方に触れていくしかない。しかし実際には意識の低い教師は一体どちらなのかよく分からない学習を構想してしまう。

 

 

③モデル学習
 読解学習などは基本的に表現学習のモデルとして位置づけることができる。モデル学習とは、効果的な方法を実際に使っているもの自体から学んで、実際に自分でも使っていくことでその方法を身につけることを指す。多分こういった学習方法は意識的に用いればものすごく効果があるのだろうけれども実際には中途半端に潜在化されて学習に位置づけられている。
 手紙の書き方を学ぶということと非常によい手紙から学ぶということの違いかもしれない。範例学習の考え方を少し変化させるとモデルから学ぶということも結構応用範囲の広い学習になると思うのだが・・・。