2022-01-05から1日間の記事一覧

No.28 子どもの発見

ルソーの『エミール』で示された「子ども観」は、教師として仕事をする上で忘れてはならない子供観である。 子どもは大人によって育てられる存在であると共に、自らが伸びていこうとする主体的存在である。 こんな当たり前のことも、日々の授業の中で見失わ…

No.27 教育課程の自主編成 カリキュラムマネジメント

最近、学校の独自性を出すことが、各学校に求められている。地方公共団体別に義務教育の編成も変更可能となり、633制も変動する可能性が出てきている。 こうした中で、各学校が独自のカリキュラム色を社会に対して提案しなければならなくなってきているこ…

No.26 リテラシー

もともとリテラシー(literacy)とは、「文字の読み書き能力」のことである。 でも最近このリテラシーやたらといろんなところで使われているので整理しておくことにしました。 基礎学力の低下などで、指摘されている「リテラシー」とは、語義通りの中身で、ま…

No.25 授業のプロジェクト化

プロジェクトメソッドとは、キルパトリックが開発した学習形態である。基本的には経験主義教育を理論的背景に置いている問題解決学習である。 具体的には作業を通して、学習者自身が問題解決過程をたどり、その中に学びが生成するというものである。 ゆえに…

No.24 発見学習

最近の子どもは物知りだ。テレビをよく見て育っているので、いろいろなことを知っている。時々小学校の子どもなんかに、最近は大学も大変ですねなどと言われぞっとすることがある。 多くの研究者が長い年月をかけて発見してきた様々な事柄を知識として理解す…

No.23 系統学習

系統学習が日本に導入された経緯は古い。明治20年から30年頃、ドイツのヘルバルト主義の教育理論が導入されたところにさかのぼる。ヘルバルトといえば、五段階教授法で知られているが、我が国で進められた実践は、既存の学問体系の効果的な注入であった…

No.22 問題解決学習

中学校の読みの授業の多くは、教材の中から考えてみたい課題を発見させ、その解明に向けた再読を促すことを学習過程の背骨にしている授業が多い。 これは、ここでいう問題解決学習とは少し異なるものとして考えたい。 そもそも問題解決学習は、デューイの理…

No.21 バズ学習

バズセッションは、全体討議とペアトークとの間に位置づけて考えている。全体討議が難しいクラスや学齢が低いクラスなどで、ペアでの話し合いから少し広げて話し合いをさせたいなあ、と思うときにはバズを用いる。 これと同じように考えているのが「班」での…

No.20 学び方の学習

一時期、勉強の仕方が分からない、という子どもの相談に乗っていたことがある。本の読み方とか、ではなくて、効果的な暗記の方法とか、計算練習をどのくらいの文量でどのようにすればよいかといったことを教えた記憶がある。 勉強ができない子は、内容そのも…

No.19 授業のオープンエンド化

授業のオープンエンド化について話題になることが多い。過去に「主体的学習」として提案されたものに少し似ているような気がするが、クローズエンドな授業が多い中で斬新な感覚で受け止めている。 この、「オープンエンドの授業」とは、実践レベルでいえば、…

No.18 発達の最近接領域

教材から学習者に適した学習内容を抽出し、目標化する仕事は、日常的に学習者とふれあっている教師にしかできない仕事である。 教科書を作成していて時々願うのは、多くの優れた教師の観察眼によって、学習者に適した学習が組織されて欲しいということである…

No.17 生きる力

「生きる力」は、いわゆる運用力ではなく、教育政策的には、1996年の第15期中教審答申で示されるように、 「いかに社会が変化しようと、自分で課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決する資質や能力」 のこと…

No.16 国際理解教育

国際理解教育の重要性が提唱されたのは、1974年のユネスコの「勧告文」であった。 それ以来我が国でも、国際理解教育が教育現場で意識されるようになってきた。 そもそも、日本人は外国人とのコミュニケーションが苦手だといわれもするし、外国人からそ…

No.15 フリースクール

フリースクールとは、日本では不登校等の問題を抱えた子どもたちが通う学校として認可されていない「私塾」的なイメージが強い。 しかしながら、既存の学校制度による不自由さを批判し、新たな学校として作り出されたものをフリースクールと呼ぶ。 イギリス…

No.14 教科担任制と学級担任制

教科担任制とは、中学校や高等学校のことをイメージすると良いし、学級担任制は小学校の時のことをイメージすると良い。 しかし問題は二点あり、 ①小学校の学級担任制だと、クラス担任が全ての授業を担当するため、授業の専門性がどうしても低下してしまう。…

No.13 正統的周辺参加

知識注入型の授業形態から脱却しようとする試みは、1980年代くらいから盛んに試行錯誤された。情意的領域を重視した学習活動を組織したり、対話的な授業を試みたり、様々な悪戦苦闘が繰り返されたように思う。 90年代初頭にレイブとウェンガーが『状況…

No.12 学習の転移

生きるために必要な学習内容を全て学校で教えることはできない。この点について、学習内容の精選という発想が生じてくる。 どんなに精選しても、時代は変わるし、偏りが生じてくるのは否めない。そこで、二つの考えが生まれる。 1965年にユネスコの成人…

No.11 「教授=学習」過程

授業の計画を構想するのは、教師の仕事であり、より多くの学習者により効果的な学習を提供する義務がある。 しかしながら、いざ授業をしてみると、なかなか自分の計画したように進まない、という経験は誰しもがするものである。 計画通りに行かないことが、…

No.10 治療的指導

何年か前に、『国語教育300の基礎知識』にこういうことを書きました。治療的指導は、様々な評価論の動向を踏まえて、重視され始めた頃のことです。 学習者のつまづきや苦手な部分を、精度の高い評価によって把握し、効果的に指導をすることを指していまし…

No.9 基礎・基本

一時期、公立の学校に赴くと、「基礎・基本」とは何でしょうか?とよく問われた。大学院に来ている現職教員の方からも同様の質問をよく受けた。 結論から言えば、全体が何であるかということなしで「基礎・基本」ということを主張しようとする人の多くが、ド…

No.8 学習集団作り

学校で学ぶということの意味は、様々であるが、非常に重要なポイントとして、集団で学ぶことができるという点が上げられる。 集団で学ぶことの良いところは、これまでも様々指摘されてきたが、最近では特に、知識伝達型の授業から脱却するための方策として集…

No.7 テスト法の功罪

テストについて、現場の先生方にうかがってみると、結構頼りにしている人もいらっしゃって、一時期(1980年代~1990年代初頭)のようにテストを批判する人の数が減ってきたことに気づきます。 三、四年前に、評価基準と評価規準を明確にした年間指導…

No.6 学習の動機づけ

小学生の子どもたちに、「何で勉強するのか」と聞いて、どんな答えが返ってくるのだろうか。 親に叱られるから、という理由が大きかったのはずいぶん前のことかもしれないが、でも、何か買ってもらえるからとか、みんなに馬鹿にされるからとかいった理由が多…

No.5 授業過程と評価

授業を構想する際に重要な条件として、構想した授業過程や学習活動が、目の前の学習者の能力や興味等に可能な限りフィットしたものになっているか、という観点がある。 この視点を重視して学習を構想しようとするならば、授業過程の適切なポイント、ポイント…

No.4 主体的な学習

学習効果が最も出る学習のあり方とは、学習者本人が主体的に学ぶことである。 この点は誰しもがよく知っていることだが、学校で学ぶ内容の多くが学習者にとって主体性を発揮して学ぼうとする対象とは言い難い。故に教師は、自分が教えたい内容や教えなければ…

No.3 習熟度別クラス

中学生の時、毎週テストをして、その結果でクラスを変更した経験がある。ああこれが習熟度別クラス編成の極みか、と最近思う。毎週変わるというのもどうだかと思うんだけど、それくらい当時は受験戦争が激しかったんだな。 習熟度別クラス編成も、当時は選抜…

No.2 学習の個別化

子ども一人一人に適した学習がある、とするならば、現在行われている集団での授業は、どこまでも効率を追求したものであるといえる。教師一人が示しうる学習方法は、せいぜい一つか二つであるとするならば、それに適応できる子どもの数も当然限られてくる。 …

No.1 「陶冶」と「訓育」

学習者と教師との関係を「教授=学習」過程として捉えることは、授業の中で進められている活動の二つの側面を等価に捉えることを意味している。 教授過程は、「教える教師」と「教えられる学習者」の関係であり、学習過程は、「主体的に学ぶ学習者」と「サポ…