No.18 発達の最近接領域

 教材から学習者に適した学習内容を抽出し、目標化する仕事は、日常的に学習者とふれあっている教師にしかできない仕事である。

 教科書を作成していて時々願うのは、多くの優れた教師の観察眼によって、学習者に適した学習が組織されて欲しいということである。
 
 教材と学習内容との関係は、限りなく等しい関係の教科もあるし、そうでない教科もある。私が専門にしている国語科などは、教材から学習内容を抽出することが特に難しい教科だといって過言ではない。
 
 レベルが合う学習ということを考えると、レベルって具体的にどういうことを指しているのだろうかとおもう。
 簡単すぎると学習は成立しないし、難しすぎても成立しない。教材を選択したり、配列したりする際に、当然このレベルについては熟慮するのだが、最終的に具体的に学習内容を確定しようとすると、どうしても、教材から学習内容を抽出する段階でのことになる。
 
 学習者一人一人が、教師や周りの人の協力を得て習得することのできる学習内容のレベルをちょうど良いレベルとすると、このちょうど良いレベルを、発達の最近接領域として考えることが最も単純で簡単な捉え方だと思うのだが、それでは、ヴィゴツキーの理論を正確に理解したことにはならないので、もう少し解説を加えなければならない。

 彼は、『思考と言語』のなかで、独力で8才水準の問題が解ける二人の子が、一方は他のものの協力で12才水準の問題まで到達し、一方は9才水準の問題までしか到達しない、という例を挙げている。

 これは、教育評価によって把握される結果が同じでも、最近接領域が異なる子どもの例である。
 子どもののびる速度や可能性は個人によって異なっている。こういったところまで配慮して学習内容が確定できているだろうか。

また、発達段階と呼ばれるものに追従する方法も、全く意識しない方法もやはり問題であることもよく分かる例である。学習内容は、現在の学習者の能力以上の可能性の領域で確定されなければならない。
 実際には非常に難しいと思うが、そういう視点に立っていなければ、把握できる可能性は全くないといって良い。