No.33 過去の教育プランから何を学ぶか

学校独自のカリキュラムの創造が求められる中で、教育プランに関する歴史的理解が再度進められている。
 私が訪問している小学校の校長先生も、主体的学習を導入しようと検討しているとおっしゃっていた。そういうことを聞くと、特に大正期に我が国に導入された各種の教育プランの中にも再度有効性を発揮しそうな要素が含まれているように思えてならない。

 教育プランは様々あるのだけれど、基本的には、個人学習と集団学習の組み合わせ型や、教科学習の配列の方法の異なりとして把握することができる。

 ウィネトカ・プランやドルトン・プランは、等しくアメリカで開発された教育プランで、大正期の我が国の教育に影響を与えたものであるが、共通して言えるのは、教科によって徹底的に個別指導を行い完全習得を目指すものと、集団的創造的活動で集団のなかで育むものとに区別されていることだ
ウィネトカ・プランは、ウォッシュバーンが、1919年に開発したものだが、共通必修教科(読み・書き・算)と集団的・創造的活動(音楽・美術・体育など)に分けられており、前者が個人指導、後者が集団指導となっている。
 これと同様に、ドルトンプランも、主要教科群(国・数・理・社)と副次教科群(音・美・体)に分けられている。パーカストが1920に作ったこのプランも、沢柳政太郎の成城小学校などで行われたプランだが、学習者個人が学習割り当て表を作り、それに基づいて個人学習を進める形を取っている。

 他にも、ドイツのペーターゼンが作成したイエナプランなどは、教科の編成ではなく学級編成や学年編成を崩し、知的な発達段階や人間性などの観点から四つの基幹集団を作成することをおこなった。

 様々な現在の学校で当たり前と思われていること(教科編成や学級・学年編成)を崩して、新しい学校づくりを行っていこうとするこの時期に、あらためて過去の歴史の中で行われた実験的な試みの功罪を確認しておく必要があると思う。