No.39 中高一貫教育

 大学入試と違って、高校入試は失敗させられないという意識が強い。中学三年の担任になると本当に強くそう思う。
 中高一貫教育という考え方が1971年の中教審答申で示されてから、なかなか前に進まなかった中高一貫教育も、1997年6月第16期中教審答申で、「公立中高一貫校の選択的導入」が示され一気に進んだ感が強い。
 中高の6年間を全く別の学校で行うことと、一貫して行うことの功罪は、先ず第一に高校入試の問題が挙げられよう。

 高校入試は、塾通いなど教育産業のためにしかなっていないのではないか、そしてそうやって勉強する内容が塾の先生程度にできるようなことに絞られているのであれば、そんなことを必死にさせて勉強嫌いにするよりは入試を行わない方がよいと考える。

 これは私が教育学者であるからではなく、一企業人として思うことである。企業の人間は人材育成をシビアに考えるので、現在の教育がどのような人材を育てているのかということについては、客観的なリサーチなどで厳しく把握している。知識偏重や主体性のなさは、社会人としては全く使い物にならない。

 すべてを知っておく必要はない。専門家として何かの領域に長けている事の方が優先される。しかしそれは、その専門領域に深く精通することであって、そのスタートは中学校段階から始まっているように思う。3年知識ばかり詰め込んだ人材よりも、その領域のおもしろさや深さを知り、何年も継続して学び続ける人材の方が可能性が高いことは当たり前であろう。

 単純暗記や理由も分からない修行みたいな学習で貴重な人材を燃え尽きさせたくはない。

 二つ目には、特色ある学校づくりということが考えられる。6年間続けて学ぶということはそれだけゆとりが生じる。特に中3と高1の重なる部分が省けるのでそれだけ系統的な学習が確保できる。
 文部科学省のねらいもそこにあるように思えてならない。文部科学省も特色ある学校づくりと重ねてこの中高一貫教育を提案する。

 a 体験学習を重視する学校
 b 地域に関する学習を重視する学校
 c 国際化に対応する教育を重視する学校

 など7つの参考例を示し、特色ある一貫校の設立を促している。

 しかし、一貫校の教壇で感じたのは、こういったハードな面よりもソフトな面の問題から問題が生じているということなのである。
 中学校も高等学校も、二年生という時期を非常に警戒する。気がゆるむからだ。しかしゆるんだ気持も入試という壁を示すことで3年生になってから何とか立ち直らせてきた。これが先ずできない。中2でゆるんだ気分は高2まで続く。
 また中一でこじれた子ども同士の関係は、いや教師との関係も後5年間我慢しなければならない。これは大変なことだ。
 
 少子化が進む中で、実は二つの問題が起きている。一つは中学校入試の問題。有名私立学校はほぼ中高一貫教育で中学校入試をする。小学校から受験勉強をする子どもが少なくない。これは非常に問題だと思う。
 もう一つは、大学入試が徐々に形骸化してきているということ。入試はクラス化であると共にリセットでもある。リセットする機会を失ったまま13才から22才まで過ごすことは実は反対に非常につらいことかもしれない。