No.43 学習性無力感

 人間にとって学習とは、つねにプラスの方向性を持ったいるわけではない。「国語嫌い」や「算数嫌い」、なべて「勉強嫌い」も日々の学習の積み重ねによって獲得するものである。
 特にここでいう「学習性無力感」とは、随伴性の問題に密接に原因があると考えられる。
 具体的に言うと、「作文をいくら書いてもうまくかけない」ということと「作文を一生懸命書いてもうまくかけない」とでは等しくマイナスの学習効果が生まれる可能性が高いのであるが、その内容が大きく異なっている。
「苦手意識」が生み出すマイナスの要因以上に、「努力しても結果が出ないこと」が生み出すマイナスの要因の方が根深いのである。
 学習性無力感とは、後者にあたる。努力すれば結果が出る者に対して「頑張ろう」と思えるのは、努力したら結果が出たことを学習しているからで、言い換えれば「努力-結果」という結びつき(随伴性)を認識しているからである。
 ある程度の学齢の子どもの中には、この「学習性無力感」が原因で学習しない者がいる。こうした学習者を早期に発見し、適切な指導を施していくことが、特に小学校高学年以降の教師には必要となってくる。

◎どうすればよいのか?

 「学習性無力感」を抱いている学習者に共通する傾向として、学習結果に対する原因帰属が外部の不安定な要素(運・偶然)に偏っていることが指摘されている。「テストの点がいつも悪いのは運が悪いからだ」とか「今回はたまたま悪かったのだ」といったいいわけをする学習者の多くはこうした原因帰属に偏るためにその後の学習へと進むことができない。
 先程述べた随伴性を確立する方法は学年によっても違うし、教科によっても違うが、よくいう「頑張れば結果が出ることを実感させてやること」の重要性は理論的に説明するとこんな感じで説明できる。
 つまり具体的に何をすればよいかを示すとともに、なにかさせれば必ず結果が出るように保証してやることが重要なのだ。しかも問題を簡単にするのではなくて、結果が出るまでとことんつきあっていく方法で。
 ここまでは一般的に研究されていることで、ここからは、私の研究したことになる。
 私は学習者の「学習の構え」の研究をかつて進めたことがあり、苦手意識を持っている学習者は、学習内容に対する認識が雑ぱくな者である傾向が強いことを明らかにした。つまり、国語嫌いの学習者は、国語の学習内容に対する理解がいい加減な場合が多いということである。「国語の何が嫌いなのか」という質問に対して、「作文が嫌いだから」と答える。「作文が嫌いだからといって国語全部が嫌いなわけではないでしょう」と思うのだけれども、その子にとっては、作文が国語全部と限りなく等価であるような認識をもっているのである。そういう学習者といっしょに「物語は好き?」とか「漢字の練習は?」とかいった対話で学習内容の理解を深めながら、その子が苦手意識を感じていない学習内容や好きな学習内容を発見していき、学習性無力感を解除する手がかりを探していく。
もちろん、「作文」を好きにしなければいつまでも完全には解除されないのだから、先に行った対処法へと行き着かなければならないのだけれども実際には、このプロセスを前提にして足場を着くって置いてやらないとなかなかうまくいかない。