No.24 発見学習

 最近の子どもは物知りだ。テレビをよく見て育っているので、いろいろなことを知っている。時々小学校の子どもなんかに、最近は大学も大変ですねなどと言われぞっとすることがある。
 多くの研究者が長い年月をかけて発見してきた様々な事柄を知識として理解することで本当にそれが分かったことならないことは誰しもがよく知っていることである。
 スペースシャトルが宇宙に行く事が出来ることは誰もが知っているが、その長い歴史を知っているものは少ない。
 自動車が道を走ることも同様だが、それがどういう原理で走ることができるのかを知る者も少ない。

要するに、我々が知識として有している様々なことの多くは、その歴史性とメカニズムに対する理解をのぞいた非常にちっぽけな者の集合体なのだ。
 ゆえに、知識量がいくら多くてもそのことを誇ることは滑稽に映る。いくら物知りでも何一つ詳しくは知らないのであれば、全くものを知らないことになりはしないのだろうか?

 発見学習は、こうした歴史性やメカニズムを究明してきたプロセスを学習としてたどり直し、学習者自らが原理やメカニズムを稚拙でもいいから発見していくことを重視する学習形態だ。それによって知識は奥深さを増していく。

 しかし、この学習形態は労多くして得られるものがあまりに少ない。リアルな発見をさせようとすれば、リアルな学習を組織する必要がある。時間と手間がかかる。この学習形態を進める場合必然的に学習内容を極度に精選せざるを得ない。
 総合的な学習の原理にはこの発見学習の理念が含まれている。知識中心主義から脱却し現実世界との関わりの中から学習者自らが様々な発見や学びを生成する学習だからだ。
 しかし、現実的にはそうした時間がないことは確かだ。