No.34 ハーローエフェクト

 最近、現場の先生に自分のクラスの学習者一人一人の国語学力をどのように把握しているのかという調査をした。
 これは、教師が授業を構想する際に、対象となる学習者の学力を詳細に把握していることが非常に重要なことだという点を補強すると共に、具体的にどのような効果が授業に反映されるのかという点を明らかにしようとする研究の一環である。
 それぞれの先生がどういった規準で国語の力を捉えているのかという点からいうと、「得意-普通-不得意」といった規準が拡大した規準を用いる人もいたし、「読む-書く-聞く・話す」力がどうかと見ているひともいた。
 結論からいうと、この規準が詳細で体系的なものであればあるほど、同じ教材を用いても授業の細部が目の前の学習者の状況に適応したものとなる。

 一番気になったのは「この子は国語の良くできる子」という捉え方だ。中には本当に全て良くできる子が居るのだろうけれども、大半は国語の力の内で、「作文」がうまい子もいれば、本を深く読める子やたくさん読んでいる子もいる。話し合いに積極的に参加し意見をきちんと言える子もいる。しかしそれぞれに良くできる子にも苦手なものはあるし完璧ではない。
 ハーローエフェクトとは、何か一つに秀でている人に対する評価が甘くなり、何もかもがよく見えるような心理作用のことを指している。恋愛などはそういう場合が多いのかもしれない。ひいきなどをしてしまうのもそういったことによるところがあるように思う。もちろんその逆もありきで、できない子の評価が厳しいものになることも多い。
 しかし、問題は二つあって、一つはそういう良くできる子の能力に対する観察が鈍くなってしまい指導が適切に行われなくなってしまうこと、もう一つは「良い」という規準が、クラスの中で良いという相対的な規準である場合が多く、その子の能力そのものに目を向けていないので具体的な指導内容を決定できないという点である。

 教師も人間だから自然とこういった心理作用の影響を受けて学習者の観察が不正確なものになってしまう。これはどんな優れた教師にもあることだ。学習者の能力に対する観察者を複数にし、相互に情報を交流しあいながら、より正確な観察を授業づくりに生かしていかなければならない。