No.59 原因帰属理論

①原因帰属理論とは何か
 1971年に出されたWeiner,Bの理論であるが、それ以前にも方角の分野などでは原因帰属ということが考えられていたようだ。
 原因帰属理論は自分の行動の結果の善し悪しをどのような原因に帰属させるかということの違いによって、その経験の蓄積の仕方やその後の様々な感情や予測、行動に影響を及ぼしているのではないかという考え方である。
 分かりやすい例を挙げると、教員採用試験に落ちた場合、人によってその落ちたことに対する受け止め方が異なってくる。自分の努力不足だと考える人もいるし、試験問題が悪かったのだとか、今は教師になりにくいのだといった捉え方をする人もいる。さらに、運が悪かったという人もいるだろうし、自分は元もと教師に向いていないのだと考える人もいる。この理解の違いは、当然その後の感情や行動に大きく影響を与える。自分の努力不足だという人はさらに勉強をするだろうし、自分は教師に向いていないのだという人は試験を受けること自体を止めてしまうだろう。運が悪かったという人はお守りや神頼みをするだろう。
 この因果関係は個人の中で潜在的に固定化する傾向が強く、それゆえに学習の連続である学校教育では学習者の原因帰属性に目を向けた指導が必要となってくるのである。どれだけテストで悪い点を取っても運が悪かったと考える学習者は、反省して努力し始めたりはしない。先生の教え片側類のだという学習者も教師への批判や反感は増しても学習し始めるきっかけとはならない。
 ワイナーは71年の論文で能力要因、努力要因、課題の困難さ要因、運要因の4つの要因を挙げているが、その後、79年に3次元8要因の分類を施した論文を書いているがここでは触れない。

 


②自己関与性と内発的動機付け
 自分のことを振り返ってみても、いつも運が悪いとあきらめているだけではないし、全て自分の能力不足や努力不足に還元しているわけでもない。
 自分の努力不足に還元するのは結構しんどいことなので、ついつい自分を守りがちになるが、心の何処かでは自分の努力不足だと思う気持がある。
 ようは、学習者が試験の結果や活動の結果に向き合ったときに、その経験をその後の学習に生かしてくれればよいわけで、そういうふうに人の心が動く場合を学習条件として設定することも考えていかなければならない。
 こういうとかなり心理学から教育学に風向きが変わってくる。
 そこで学習条件として捉え直すと次の三点を重視することになる。
①与えられた課題が自分に関係の深いものだと捉えている場合。
②学習が自分の意志で始められている場合。
③明確な目標を持って学習に臨んでいる場合。

ここまで述べると原因帰属という行為が、学習論において内発的動機付けの重視や、見通しのある学習の重視、生活と学習を結ぶ工夫の重視など、近年重視されている学習構想段階での教師の工夫と結びついてくる。
 ついでに付け加えれば、自己学習力の中核にもこの原因帰属の考え方が必要となることはいうまでもない

 

③全員参加型の授業
 さらにこの考え方から行くと、学習そのものに学習者が関与する機会を増やしていくことが必要であることが分かる。教師主導型の授業で教師が与えたことをどれだけ覚えているかというテストをするならば、自己関与性は低く、当然原因帰属も教師の教え方の善し悪しに行く。
 学習者それぞれがそれぞれの道筋で学習に参加している場合、自分たちが選んだ方法で自分たちが考えたことを評価されるわけだから、良かった悪かったということ以上に、もっとよい答えが出るためにはどうすればよいかという方法の工夫に思考が向く。私は原因帰属理論そのものは学習者を捉えるよい目であると思うのだが、いざ学習の構想ということになると、それをそのまま使えるとは思っていない。結果の受け止め方自体を学習させる必要はあるのだが、それ以上に結果を受け止めたその後、更によい結果を生むための方法の模索に学習者が向くような学習を構想する必要があると考えている。